1942年、ミュンヘン生まれ。少年時代を映画、テレビ、電話のない人里離れたバイエルンの農園で過ごす。鉄工場で溶接の仕事をしながら、高校に通い、大学で歴史、文学、演劇学を専攻。若い頃の彼についてのエピソードは数多く、14才から徒歩での旅を始め、留学したピッツバーグでは追放処分を受け、メキシコで密輸をしていたという。

1964年、カール・マイヤー賞を受賞した自筆脚本「狼煙」を元に、長編第一作として発表した『生の証明』(68)でドイツ連邦映画賞を受賞し一躍注目を浴びる。『カスパー・ハウザーの謎』(74)でカンヌ映画祭の審査員特別賞を受賞。世界的に知られる性格派俳優クラウス・キンスキーを起用した『アギーレ・神の怒り』で興行的ヒットも成し遂げ、名実ともにニュージャーマン・シネマを強力に牽引する監督として内外に知られるようになった。以後、ジャンルや手法を越えて、意欲的に新作を発表。97年には三枝成彰氏作曲のオペラ「忠臣蔵」の演出を行うなど映画のみならず、音楽をこよなく愛する活動を行なっている。その後、ハーモニー・コリンの『ジュリアン』に出演し、役者としても活躍していたが、クラウス・キンスキーとの長年に渡る交流をテーマにした『キンスキー・我が最愛の敵』(99)を監督。ヘルツォーク&キンスキーのゴールデンコンビの創造の源を見せつけ、世界中の観客を魅了した。これまでに40以上の作品のプロデュース、脚本、監督を手掛け、多数の著作を発表している。