
この10年間ドキュメンタリーを撮り続けてきたヘルツォークだが、久々に創り込んだドラマとなる本作品では、これまでにないスタッフ、キャストが配置された。
主人公ジシェと並ぶメインキャストのハヌッセン役には、『レザボア・ドッグス』でその演技力を評価され、『海の上のピアニスト』『Planet of the Apes/猿の惑星』で演技派俳優として世界的に知られるティム・ロスを起用。本作品で重要な役割を果たす音楽では、これまでヘルツォークの代表的な作品全てにおいて音楽を担当してきたポポル・ヴーに代わり、『ライオン・キング』でアカデミー賞を受賞、ハリウッドで数々の超大作を手がけるドイツ生まれのゴールデン・コンビ、ハンス・ジマーとクラウス・バデルトを起用している。
一方で、ヘルツォークは自身の作品にリアリティを持ち込むことにこだわった。「私は俳優に素人もプロもないと思っている。あるのは、良い俳優とダメな俳優の違いだけだ」と語るヘルツォークは、本作品の主人公、超人的な腕力で人心を掌握するユダヤ人青年ジシェ役に、The Worlds Strongest Manチャンピオンのヨウコ・アホラを、ジシェが恋焦がれるピアニストのマルタ役に、ロシア出身の国際的ピアニスト、アンナ・ゴラーリという俳優としてのキャリアが全くない二人を起用。そのチャレンジをジシェが見せるパフォーマンスの数々に、クライマックスでマルタがベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾く3分以上にも及ぶ演奏シーンに、息を呑むような臨場感を与えることに成功した。
キャスティングのアンバランスなところも作品に独特のリアリティをもたらしている。脅迫観念に突き動かされるハヌッセンのエゴと哀愁を、英国舞台仕込みの卓越した演技力で体現し、異様なまでの存在感を放つロスと、アホラの朴訥とした演技のコントラストは、まさにサムソンとなる使命を背負う不器用なまでに実直なジシェ・ブレイトバートと、ユダヤ人であることを巧妙に隠す狡猾なハヌッセンそのものとして、私達の目に映る。

『メフィスト』(81)のクラウス・マリア・ブランダウアーが主演した『ハヌッセン』(88)をはじめ、これまでにもハヌッセンを題材にした映画は撮られている。しかし、ハヌッセンと共に歴史の波にのまれ、数奇な運命を辿ったユダヤ人青年ジシェ・ブレイトバードについて描かれることはなかった。
ヘルツォークは、この歴史上の人物を描こうと決意したきっかけを、「実際にジシェ・ブレイトバートの子孫と接触したこと」だと語る。彼の子孫ゲーリー・バート(本作品のプロデューサーでもある)は、幸運にも先祖に関する資料を所有していた。「神に感謝したいよ。ゲーリーは私に、歴史上の人物に手を加えたり、映画的なストーリーを持ち込むことを許してくれたんだ。私は、ジシェが作り話をしたとは思っていない。彼は自分自身にミッションのようなものを感じていた。神が彼を思し召したんだ。でも、彼の生涯については曖昧なヒントしかなかった。その中の一つ、彼が最初に自分をサムソンだと告知したポスターを見た時、私は何か途方もなく大きなものを感じたんだ。それは瑣末なものだけど、とても重大な意味をもっていた。私はこの感覚を、キャラクターの組み立てに際し、大いに取り入れている」
「大ファンだった。この企画に参加した理由はヴェルナー・ヘルツォーク監督と一緒に仕事ができること。彼は偉大な映画制作者の一人であり、今までにない独創的な人。非常にたくさんの映画制作者や役者に影響を与えている。もし制作者として映画に関わりたいなら、ヴェルナーについて知っておく必要があるね。紛れもない事実だよ」と、念願のヘルツォーク作品に出演した喜びをロスは語る。さらに、「ヴェルナーはとても率直な人なので驚いた。他の役者もそうだと思うけど、監督とは非常にまっすぐで良い関係だった。彼は演出の際、ドイツ語で話していたので、僕は自分がドイツ人俳優だったらと本気で思ったくらいだ。演技に関しては、もっといろいろ込み入った指示を出されるかと思っていたが、指示に関する限り、とてもストレートで、はっきりしていた。パリで監督に会った時には、もう基礎が充分にできていた。だから撮影を始める時には、自分が何をしたいのか、監督にはよくわかっていたんだ。僕は監督の言われるとおりにしたよ。喜んでね」
彼が演じた歴史上の人物ハヌッセンに関しては、「彼はペテン師、そして芸人だ。その動機は、おそらく恐れだろう。発見される恐れ。芸人にとってエゴは不可欠な要素であり、発見されたり人目にさらされたりする恐れもある。それが動機なんだ。そして、彼にとっては悪の側に立つ方が楽なんだよ」。役作りのためには何もしていないと語るロスだが、ヘルツォーク監督には催眠術をかける方法を教えてもらったという。「とても巧くなったよ。いつも周りに魔術師や催眠術師がいたからね。でも、普通の人はかかわり合いにならないことだね。映画の中で僕が催眠術をかけた女性は、実際に撮影の間、催眠状態だったんだ」。ロスは劇中で催眠術をかける時に使ったペンをヘルツォークからプレゼントされ、大切に保管しているという。 |
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